足るを知る

「足を知る」

 

デンマーク留学中に修学旅行のプログラムの一環でエコトピアを訪れた。エコトピアで1日過ごしただけで大きな変化があった。

 

※エコトピアとは、スウェーデンの辺鄙に位置し、おばあちゃんが一人で切り盛りする自然の中のコテージです。そのコテージも再生可能資源でつくられており、sustanabilityを意識した環境に優しく、心も温まる宿泊施設です。

http://www.ecotopia.se/en/

 

 

最初の印象は「THE 田舎かよ」。

 

電波も届かない、トイレもぼっとん、暖房は暖炉の環境の中で、大きな宿題もなく時間を忘れて漂うように1日過ごしてみたら、まだ到達できていないはずだった満足をもたらしてくれる世界との境界線をどうやらいつの間にか追い越してしまっていたらしいことに気がついた。

 

これまでだと、「あれもしなきゃ」「まだまだ足りない」「これもしたい」「来週には何をどうしよう」等、全部をすぐにゴールするなんてできないのに、ゴールテープを切る時のような瞬間を際限なく追い求めていたような気がする。

 

それが、いくつかの要素が強制的に取り除かれたことによって、炭に火がつく時に大きな炎から徐々に小さくなって安定する、あの現象と同じように、自分の持つ満足の境界線に、思っていたのと逆方向から触れることができた。

 

自分がぴったりとその境界線をかたどることができた瞬間は、「はっとした」という日本語が正しいのかもしれないけれど、私には「千と千尋の神隠し」の中で、終盤にハクが名前を思い出して龍から人間に姿を変えるあの鱗がパラパラパラ~ってなるシーンのような感覚だった。

 

境界線を感じられた後は、これまでお腹がはちきれそうになるまで食べても満腹を感じられず、残飯処理の任務を頂くまでになっていた無限の食欲も、そこそこでごちそうさまができた。SNSに関して言えば、毎日何回もチェックしないと、コミュニティーから疎外されるような気がしていたけど、コミュニティーの現状を知らなくても生きてはいけるし、なんなら何かに囚われている感覚がなくなるようにさえ感じられた。本来「足りない」を充足させるためのSNS活動も、情報過多になって「足りない」を助長させていたなーと。(だけどSNSなしは期間限定で十分です。笑)

 

ハクが名前を思い出せずもがいていたように、自分の持っているはずの境界線から離れすぎてしまうと、知らず知らずのうちに自分を見失ってしまう。この経験で、一時期(今もかな?)流行っていた⁇「やらないことリスト」の意味がわかった気がするし、私は足りすぎている要素を環境から減らすことで自分が自分に帰って来れることがわかった。私のストレス解消法はきっと山籠りやな~