糸井重里さんへのお手紙をニューギンガポストへ投函

拝啓

今年は、夏の風物詩であるプールも高気圧の2枚布団で酷暑のため、中止になったり、

台風は見たこともない進路を辿ったりと、不思議な夏ですが、いかがお過ごしでしょうか。

 

私は、この4月から社会人になり、就労移行支援という「そのひとりの働く」を一緒に実現していく仕事をしているささくれと申します。

 

この度は僭越ながら、お手紙を書かせていただきました。

お忙しいとは存じますが、一読いただけると幸いです。

 

早速、本題に入らせていただきます。

内容を端的に申しますと「言葉が可変物で、人によるもので、うまく使えず悔しい。どうしたら言葉で満足のいくやりとりができるのか」ということです。

 

そして、どうして糸井さんにお手紙を書くに至ったかと申しますと

糸井さんが対談されている本や記事が、言葉でできた物なのにあまりにも気持ちが良いものだったからです。

私もそのように外から見ても気持ちの良い言葉の使い方をしたいと思い、大変身勝手ですが何か助言を頂けたらと思いました。

 

私が言葉を苦手とする理由を少し説明させてください。

私は、数学が好きです。その理由は、1+1=2を知っている人は誰でも、いつでも、どんな状況でも1+1=2だからです。明日になっても、何かに絶望をしてもとても幸せな状況でもです。

 

しかし、言葉は違います。例えば、「いいですよ」です。

定義としての意味は、OKやゴーサインになるかと思います。

ただ、その背景があまりにも複雑だと感じる時があります。

私もそうです。仕事を依頼された時「是非!やらせてください」の気持ちで「いいですよ」という時もあれば、あんまり行きたくない飲み会に誘われた時の「いいですよ」もあります。

もっと複雑だなと思うのは、同じようなシチュエーションであっても時と場合によって「いいですよ」が変わることです。前述した例を用いますと、同じ人からの同じ部署での飲み会であっても「今日はとっても飲みたい気分!行かせてください!!」の「いいですよ」になる時だってあります。

 

このモヤモヤの一つの打開策として、2が1+1のみではなく2×1や4÷2からもなるように「いいですよ」に至る背景を丁寧に説明することが考えられるかもしれません。しかし、その方法は私には現実的とは思えません。なぜなら、誰もそのようなことをしていないからです。

 

言葉のやりとりで重要な点は、日記、メール、SNSどんな形であれ→の先に誰かがいるということだと思います。

その点を踏まえると、上記のやり方では、結果しか要らない相手には「わかったからもういいよ」となってしまいます。

私にとっては、2ではなくどんな2なのかが大切なのに。

もちろん、それは記号としての言葉だけではなくそれに付随する表情や、声色、ジェスチャーといった非言語の部分が代弁しているのかもしれません。だとしたら、言語と非言語が相反する時、加えて非言語が本心を語る時、記号としての言葉の役割がわかりません。

 

わたしは仕事の関係で人と話をする時間が多いです。しかし、いつも話し終わった時に「何か違う感じ」があります。伝え方やそもそもの内容が下手で伝わっていないことを相手のリアクションから感じている部分もあるかと思います。しかし、わたしにはそれだけには思えません。

 

また、先週は「◯のことを1」と言っていたのに、同じ人が、今日は「◯のことを3」と話すとなると、混乱してしまいます。ではわたしは◯を何だと思えばいいのでしょうか。

◯についての自分の考えがあればいいのかもしれませんが、自分の考えを作る時に相手の意見も考える材料にしないのでしょうか。

 

 

なので、わたしにとって言葉のやりとりは、「爆弾も、薬も、刃物も、食料も予測不可能で出すことができる複雑なおもちゃのキャッチボール」に思えます。ちょうど、犬のおもちゃでころころ転がしているとどこからかおやつがでてくるおもちゃのように、どのように出すかわからないけれど何かしらが出る可能性があって、それで相手や自分を怪我させうるものかもしれないし、栄養補給ができるものかもしれない予測のできない中でやりとりをしているような感覚です。

 

せめて、「こうすると爆弾になってこうすると食べ物がでてきます」という

いつでもどこにいても変わらない共通の取扱説明書があれば楽なのにと思います。

 

言葉のやりとりを楽しめていないことや、どこか楽をしようとしているという考えもあるかと思いますが、わたしはどこか違う感をなくしたやりとりを→の先の相手とできるようになりたいです。

 

どうしたらいいのか、途方に暮れてしまって、一人で考えたり、調べたり、誰かに相談したりすると「考えすぎ」と言われてしまったり、「1+1=1.5でも状況次第ではいいではないか」と教えていただいたりもしました。

 

しかし、どれも腹落ちできる理由ではなく、納得できずにもやもやしてしまっていたので、この度はお手紙を書かせていただきました。

最後になりましたが、拙文を最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

糸井さんが紡ぐ丸い文章がわたしは好きです。

これからもイトイ新聞やSNSの更新を楽しみにしています。

 

酷暑は引き続くかと思いますが、どうぞご自愛ください。

 

平成30年7月30日

ささくれ

敬具